2009年12月16日(水) 【問題行動の裏には】 小学生の頃。(多分、2年生、3年生くらいの頃。) 画ビョウを掌にテープで上手い具合にとめて、 「握手をしよう!」と言って教室を回る男の子がクラスにいました。 握手をした相手には、その画ビョウが刺さります。 画ビョウが刺されば、痛いし、血が出ます。 その男の子は、そんな風に「ちょっと笑えないイタズラ」を度々繰り返していました。 小学生は、画ビョウが刺されば痛いことくらい解りますし、相手が不快に感じることも解っていると思います。 そんなことをすれば、自分が周りから嫌われることも、解っている気がします。 その男の子以外にも、その男の子と似たような行動をする他の男の子が、クラス変えをした時にもいた気がします。 けして、「その子だけが特殊」、と言う訳ではないのだと思います。 その子たちが「そう」なる理由、何らかのパターンがある筈だと思います。 一体何故、そのような行動をしていたのか? もし、自分がその子の担任の先生だったらどうするかと考えてみました。 実際の担任の方々は、クラスみんなの前に立たせ、 「謝りなさい」と強く言っていたような記憶があります。 その子を無理強いして押さえつけている姿も、記憶にあります。 その子(たち)は、相手の泣いている姿を見て、痛がる姿を見て、 本当に、嬉しかったのか?楽しかったのか? 満足感を得たのか。 何を求めていたのか。 只の好奇心なのか? 直接、その相手に恨みがある訳ではないけど、 自分の中に何か満たされない想いがあったのではないかと思います。 「構って欲しい」 「愛して欲しい」 「解って欲しい」 「受け止めて欲しい」 「聞いて欲しい」 「ちゃんと見て欲しい」 「寂しい」 時間が許せば(集団の限られた活動の中では中々難しいですが。)、 その子と二人で色々な話しをして。 その子が話したいと思う事を、 興味津々な態度で、 偏見を持たずに、 いっぱい聞いてあげて。 共感して、 理解して・・・ そしてそれを受けて、自分が思う事を 解りやすく穏やかに説明して、本人に伝える。 本当の問題解決の為には、 「やった行動」だけを見るのではなくて、 「何故、この行為におよんでしまったのか?」と、その行動の奥にある、原因となった心理を探らなくてはならないと思います。 毎日、 沢山の会話をして、 その子が納得するまで話しを聞いて、 理解してあげて、 手をつないで歩いて、 抱き締めてあげ、 本人が、安心・安定・満足・納得を出来るような環境生活の中でも、 「誰かを泣かせたい、傷つけたい、痛がらせたい、血を出させたい!!」と、思うのか。 やってみたことはないので、実際には解りませんが。 (けして、只、「甘やかす」こととは違います。我儘や自分勝手を許す訳ではない。 本人の言い分を理解し、納得し、受け止めた上で、こちらの言い分や、社会のルールを、本人に解りやすく説明し、本人が納得出来るように働きかけるということ。 「優しくする」、ということは、甘い言葉をかけたり、何でもやってあげたり、何でも許したりすることではなくて、「本人の言い分」をちゃんと聞いてあげて、理解してあげて、納得してあげた上で、 適切な説明、対応をしてあげることなのだと思います。) 心の奥にある、苦しい想いを、誰にも受け止めてもらえないという不安定な感情が、何らかの問題行動を起こさせてしまっているのではないか、と考えます。 只、学校の先生や、外部の関わりの人間では、「理想」ではなく実際に「できること」に限界があるのだと思います。(その人自身の生活があり、自己犠牲してまで、対象を救うことは難しいと思います。) 子どもに対して、本当に向き合え、時間を割いて、常に考えてあげられる存在は・・・やはり家族、親であるのだと、私は思います。(もしくは、親の役割を担い、その子を育てる責任のある方。) 学校の先生にできること、 チャイルドマインダーにできること、 とは、 「子どもと一生懸命に向き合って生きる親御さんを支える為のお手伝い」なのだと思います。 根底にある問題(問題の真の原因)に目を向けた時、 その原因が、親子間の愛情や育児にあるのなら尚更、親御さんには、お子さんと向き合って欲しいと思います。 (私の中では、それ(育児感、育児方法)が一番大きな「問題行動」の原因であると思っています。 「社会」に送り出すまでに、どう育てたか?で、社会の中でのその子どもの生き方、行動、考え方、他者との関わり合い方、が変わるのだと思います。) 親御さんにすれば、無責任に育てているつもりもなく、日々の生活や、自身の悩みや葛藤の中で、愛情を持って接しているのだと思います。 只、 親御さんが「与えている愛情」と 子どもが「求めている愛情」が 違うものなのではないかと思います。 例えば・・・ 赤ちゃんが泣いている時、 子どもは「お腹が空いた」と求めていて、 親は「おしめを替えて欲しいのね」と思う、 ・・・みたいに、双方の気持ちが噛み合っていないのではないかな、と。 自分自身の判断は一旦置いておき、 「この子が、求めているものは何なのだろう?」と、追求して、ずっと考え、あれやこれやと試行錯誤する・・・それが、愛情なのではないか、と、私は思います。 間違うこともある。 でもそれは、追求し続ける努力を辞めなければ、その愛情は、子どもに伝わるのだと思います。 「自分の為に、こんなに考えてくれている」ことに対して、 安堵感、 感謝、 人を思いやる気持ち、 愛情、 優しさを、 子どもは学んで行けるのではないかと、私は思います。 そして、実際に。 残念ながら・・・ 私には「その感情」に欠落があります。 今は、「自分で学んだルール」に従い、「やった方が良いこと」「言った方が良いこと」を選んで行動するようになりましたが・・・ そこには「自然な優しさ」「当たり前に芽生える思いやり」はほとんど存在しないのです。 機会のように、ロボットのように、「プログラム(ルール、約束)通りにやらなきゃ」と思って、行動している感じで、 自分ロボットの中に、操縦者が居いて、自分ロボットと周囲の関係性が、他人事のように感じたりする事もあります。 その場合には「客観的、冷静に見れる」、という利点はありますが。 「重要な感情」を親から得られなかった以上は、自分でどうにかするしかありません。 自分で情報を学び、知識を得て、実践し、経験し、失敗し、考え、リベンジし、それを繰り返し、得た学びをしっかり自分に根付かせ、自分のもの、自分の意識にし、自然に「そう、出来る」自分にならなければならないのかな、と思っています。 ・・・そしてそれは、 「すんごい大変!!」なことです。 一生を費やします。 夢に向かって頑張るとか、そんな場合じゃなくなります。 仕事がどうとか趣味がどうとか以前に、生きてることが大変だから!! でも、学ぶことをやらなかったら、自分に何かしらの被害が起こります。(自分で何かの問題を起こしてしまったり。) 只、「すんごい大変」なことも、「楽しい人生」なのかもしれないな、と、最近では思うようになりました。 そして、そんな自分だからこそ、出来ることがあるのかもしれない、と思っています。 それは、私にしか出来ない「チャイルドマインディング」、 そして「エンターテイナー」としての生き方。表現。 変わった人って思われて、色んなところで厄介者扱いされたりもしますが(爆)、きっと良いことだっていっぱいあるんだと思います。 成長しよう!と言う努力を辞めない限り、きっと大丈夫!、自分に言い聞かせます。 私は今、自分なりに「幸せだ」と思って毎日生きています。 ・・・只、これから子育てをして行く方には、私は強く訴えたいと思ってしまいます。 子どもとの向き合い方で、その子の一生が大きく変わって行くんだと言うことを。 単純に考えて、 一生のうちの時間を、 泣いて過ごす時間よりも、 笑って過ごす時間の方が多い人生を送らせてあげたい、と、思うと思います。 その為には一体どうしたら良いか?を考えながら、日々、接して行って欲しいな、と望みます。 12:19 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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