2010年03月02日(火) 【年に一度は】 以前勤務していた進学幼稚園のお誕生日会の後、その月にお誕生日を迎えたお子様の親御さんを集め、園長先生がお話ししていました。 「お子さんが産まれて来る時、 とにかく健康で元気な赤ちゃんが無事に産まれて来てくれれば、もうそれだけで充分だ!! と、強く願っていませんでしたか? 産まれた瞬間に、 自分のところに無事に産まれて来てくれて本当にありがとう!! ようやく逢えたね・・・ と、涙を流して心から喜び、感謝をしませんでしたか? 只健康に生きていることだけでも幸せだと満たされていたのに、 月日が立ち、お子さんが成長していく度に、お子さんの成長に過度の期待を持ち、欲張りになってしまいがちになります。 言う事を聞かない、勉強が出来ない、運動が出来ないなどで、お子さんに苛立ってしまったり、追い詰めてしまったり。 日々の生活の中では、どうしてもそうなってしまいがちなのですが、 せめて年に一度、お子さんが産まれた日、お誕生日の日には、 お子さんが産まれた時のことを思い出して下さい。 只元気で生きてくれれば良いと、強く心の底から願った日のことを・・・」 人間とは、毎日の生活に流され、本当に大切なことを見失いがちになってしまいます。 余命が短い病の人のお話を聞く度、 大切な人を亡くした方のお話しを聞く度、 痛感致します。 明日、突然死ぬことになっても、後悔が少なくて済むような生き方を心掛けたいと、私は思っています。 生きるとは、日々に流されなければならないことも、現実問題としてあるような気はしますが、 せめて、愛する人を大切にすることは、毎日精一杯したいと思っています。 ノーマ コーネット マレック・著書(佐川 睦・訳) 「最後だとわかっていたなら」 サンクチュアリ出版 ¥1000(税抜き) という本もおすすめです。 「明日は誰にも約束されていないのだ」 「愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかもしれない」 「明日が来るのを待っているなら、今日でもいいはず」 「もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろう」 「微笑みや 抱擁や キスをするための、ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと」 「忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことを、どうして、してあげられなかったのかと」 「だから 今日、あなたの大切な人たちを、しっかりと抱きしめよう」 お子さんが、朝、「行って来ます!」と出て行く、当たり前のことが、突然最後の別れになってしまったら・・・想像して下さい。 実際に、俳優・風見しんごさんの娘さん、えみるちゃんは、朝学校に登校中、トラックの下敷きになり ご両親がすぐ駆け付けた時には、大きなトラックのタイヤの下敷きになっていたそうです。 ・・・自分のお子さんだったらと、想像してみて下さい。 只元気に生きていることの素晴らしさ。 命の尊さ。 必ず明日が来るとは限らないということ。 毎回、交通安全ライブの度、警察の方が風見しんごさんのお話しをして下さるので、その度私は想像してしまいます。 今目の前に居る大切な人が、明日死んでしまうかもしれないんだ、と考えると、 「面倒くさい」 「許せない!」 「なんで出来ないの!?」 「なんでしてくれないの!?」 ・・・そんな気持ちは小さくなります。 自分が今やれることは何でも頑張ろう、という気持ちになれます。 お子さんが産まれる前の不安な気持ちを、 無事に産まれた喜びと感謝を、 ささやかな日々の成長に感動したことを、 急な怪我や病気に不安になったり、初めての育児にドキドキしたことを、 どうぞ、10年、20年後の自分宛に手紙を書いてみて下さい。 「欲張り過ぎてはいませんか?」と。 18:55 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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