【文学な本のお話。】
★さて本日は、自作小説にかかり切りになっている間、息抜きとしてチョロチョロ読んでいた本をご紹介。
あなお珍しやの、アメリカ文学です。
アメリカの純文なんて中学生のときに読んだ、ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』ぶりですヨ。
アレを読んだときには、うわあ世界は何てヒサンな歴史があるんだろ、ワタシもストウ夫人のよに現実に目を向けて生きていきたいモンだなんて思っとりました。
しかしこうしてオトナになって、フタを開けたらこのテイタラク。
歪みまくった脳ズイに残っているのは、トムくんイジメのシーン。
ソレを思い返して何を思うかなんて、口が割けても言えませんヨ。
イヤ実は、あるサディスト/殺人者の犯行後の供述で、コレに言及してる箇所があったんですヨ。
その時ワタシはああやっぱし、って思うと同時に、自分はそんなんなんなくてホント良かった、ってホッとムネを撫で下ろしました。
純文っつってもイロイロあるからネ、おコさんに全集のひとつも買ってやろうなんてお考えの親御さんは、お気を付けくださいネ。
ナサニエル・ホーソン 『 緋文字 』
( Nathaniel Hawthorne “ The Scarlet Letter ” )
わたしが読んだのは、岩波書店からの文庫版。
1929年初版、1976年で第51刷って何かスゴい数字ですネ。
訳は詩人/英文学者の故・佐藤清で、1917年に日本初全訳をして以来、この文庫版で4回目ってんだから気合い入ってます。
ナサニエル・ホーソン(ホーソーンとも:Nathaniel Hawthorne)は1804年にアメリカはマサチューセッツ州、セイレムに生まれた作家です。
税関に勤めながら執筆を続け、1849年に『緋文字』を発表。
この作品は高い評価を受け、現在に至るまで、アメリカ近代文学の金字塔と目されています。
全体としての著作数は多くなく、『緋文字』以外の作品は最近ではあまり読まれるコトもありません。
但し世界的な有名作品の少ないアメリカの純文学で、心理小説やゴシック・ロマンス小説の一面を合わせ持つ作品という側面もあり、その影響力は未だ健在。
映画化もされたので、ソチラから知った方も多いでしょう。
★さて文学青年、少女の皆さんは、この『緋文字』を読んだコトがありますでしょうか?
こうしてワザワザお伺いするのは、ソレだけアメリカ文学というのが、文学を志す人間にさえナジミの少ない存在だからです。
海外文学と言えば英米文学、仏文学、独文学辺りが主流ですヨネ。
次いで露文学、中文学、その他って感じですか。
しっかしアメリカ文学だけ、アメリカ文化だけを扱う学部は、その数が急に少なくなります。
読む機会じたいが少ないってコトは、当然名作であっても実際にその作品を読むコトは、ほとんど無いのが実情。
文学好きにとってもそんな存在なんですから、フツウの読書生活を営むひとにとっては、モノ凄く遠い分野なんじゃないでしょうか。
かく言うワタクシもアメリカ人作家と聞いて思い付くのは、上記のストウ夫人、そしてトマス・ピンチョンくらいです。
だから正直、読む前からユウウツでユウウツで・・。
しかもこの作品ったら、ノッケからまあ暗いコト暗いコト。
この小説は、姦通のツミを犯して不義のコを生んだ主人公が大衆の面前で裁判を受け、糾弾されるって場面から始まるんです。
もうこんなん、聞いただけでテンション下がるでショ。
なんかサ、ソレが悪いワケではないんだけどサ、『女の一生』とか三浦綾子の作品とか読むのツライじゃないですか。
題名聞いただけで、9割ガタ想像つくワ、みたいな。
ワタシは根性がないんで、そういうタイヘンな思いを背負わなきゃなんなそうな作品、あんまし読みたくないんですヨネ。
この出だし読んだだけでムリ、ゼッタイ読めね~って思いました。
ここ10年間も、ちょっと読んでは挫折を繰り返してる、スウィフトの『桶物語』とおなし運命を辿るんだろなって思ってました。
だがしかし!時代を超えて読み継がれる作品の胆力は、そんなモンじゃあなかったんですヨ!!
このギャップに関しては、ココ5年で1番の経験でした。
★いやあホントに、ビックリするホド、オモシロい!!!
コレはホンキで超オススメ、ドコに出しても恥ずかしくないリッパな超名文学作品、略して超作でした。
こんの鮮やかすぎる筆力には、心底驚かされちまいました。
誰が聞いてもゲンナリ、どう考えても食指の伸びない題材を、よくもココまで仕上げたモンだとタメ息です。
書き出しもムカムカするし、読み進めるホドにイライラする内容ではあるんだけれど、頁をめくるテを止められない。
そのキモ、は幻想じゃないカナって思います。
イヤ物語は、幻想小説でもファンタジックでもないんですけどネ。
全体を支配する雰囲気が何とはなしに幻想的/象徴的なんですヨ。
甘くも楽しくもないけど、何か読んじゃう、突き動かされちゃう。
そういうイミではゴシック小説へ分類される場合があるってのも、わからないではない。
裏『アンクル・トム』要素が、あるのかも知れません。
つまりそういうワケ、アナタ様の思う通りでございますヨ。
1世紀以上前の作品で、しかも特別なジャンル小説ではない作品なんて、まったく読むキがしない。
そのキモチは怠惰の権化たるワタクシ、よっくよくわかります。
でもコレはゼヒ、死ぬまでに読んでいただきたい。
ソレくらいホントにオモシロいし、なさそに見えて、ちゃあんと計算され尽くした展開が用意されてるってのもスゴいんです。
この作品に通底していて評価が高かった要素ってのが、いわゆる“清教徒的雰囲気”なんですネ。
コレってのもたぶん、あと50年したらソレがナンだったか忘れられちゃう文化じゃあないかと思うんです。
コレを書いてる現時点でも、もうそろそろ死に絶えそうだしネ。
だから今読めるってコトじたいが、ちょっと幸運くらいに考えて、ゼヒ読んでいただきたいと思います。
文学がお好きな方も、え~アメリカ文学なんて読んでる時間なんてないヨ~とかナンとか、ウソおっしゃい!
ゼッタイ読んでみてくださいネ。
ワタシは読了後、解説を読んでいて二度ビックリ。
あらコレってマサチューセッツ、ボストンのおハナシなのネ。
ナンも考えないで読んでいたモンだから、意外なシンクロニシティに驚かされました。
アンテナを伸ばして摂取してると、僥倖もあるって好例、ぴったしのタイミングになりました。
まあかと言って、あの方たちがコレを読んでるとは、とても思えないのではあるんですけれどもネ。
読んでるとしたら、やっぱゲイリーちゃんが一番可能性が高いとも思うんですがネ。
イヤ深いイミはないですヨ、ホントですってば。
★さて本日は、自作小説にかかり切りになっている間、息抜きとしてチョロチョロ読んでいた本をご紹介。
あなお珍しやの、アメリカ文学です。
アメリカの純文なんて中学生のときに読んだ、ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』ぶりですヨ。
アレを読んだときには、うわあ世界は何てヒサンな歴史があるんだろ、ワタシもストウ夫人のよに現実に目を向けて生きていきたいモンだなんて思っとりました。
しかしこうしてオトナになって、フタを開けたらこのテイタラク。
歪みまくった脳ズイに残っているのは、トムくんイジメのシーン。
ソレを思い返して何を思うかなんて、口が割けても言えませんヨ。
イヤ実は、あるサディスト/殺人者の犯行後の供述で、コレに言及してる箇所があったんですヨ。
その時ワタシはああやっぱし、って思うと同時に、自分はそんなんなんなくてホント良かった、ってホッとムネを撫で下ろしました。
純文っつってもイロイロあるからネ、おコさんに全集のひとつも買ってやろうなんてお考えの親御さんは、お気を付けくださいネ。
ナサニエル・ホーソン 『 緋文字 』
( Nathaniel Hawthorne “ The Scarlet Letter ” )
わたしが読んだのは、岩波書店からの文庫版。
1929年初版、1976年で第51刷って何かスゴい数字ですネ。
訳は詩人/英文学者の故・佐藤清で、1917年に日本初全訳をして以来、この文庫版で4回目ってんだから気合い入ってます。
ナサニエル・ホーソン(ホーソーンとも:Nathaniel Hawthorne)は1804年にアメリカはマサチューセッツ州、セイレムに生まれた作家です。
税関に勤めながら執筆を続け、1849年に『緋文字』を発表。
この作品は高い評価を受け、現在に至るまで、アメリカ近代文学の金字塔と目されています。
全体としての著作数は多くなく、『緋文字』以外の作品は最近ではあまり読まれるコトもありません。
但し世界的な有名作品の少ないアメリカの純文学で、心理小説やゴシック・ロマンス小説の一面を合わせ持つ作品という側面もあり、その影響力は未だ健在。
映画化もされたので、ソチラから知った方も多いでしょう。
★さて文学青年、少女の皆さんは、この『緋文字』を読んだコトがありますでしょうか?
こうしてワザワザお伺いするのは、ソレだけアメリカ文学というのが、文学を志す人間にさえナジミの少ない存在だからです。
海外文学と言えば英米文学、仏文学、独文学辺りが主流ですヨネ。
次いで露文学、中文学、その他って感じですか。
しっかしアメリカ文学だけ、アメリカ文化だけを扱う学部は、その数が急に少なくなります。
読む機会じたいが少ないってコトは、当然名作であっても実際にその作品を読むコトは、ほとんど無いのが実情。
文学好きにとってもそんな存在なんですから、フツウの読書生活を営むひとにとっては、モノ凄く遠い分野なんじゃないでしょうか。
かく言うワタクシもアメリカ人作家と聞いて思い付くのは、上記のストウ夫人、そしてトマス・ピンチョンくらいです。
だから正直、読む前からユウウツでユウウツで・・。
しかもこの作品ったら、ノッケからまあ暗いコト暗いコト。
この小説は、姦通のツミを犯して不義のコを生んだ主人公が大衆の面前で裁判を受け、糾弾されるって場面から始まるんです。
もうこんなん、聞いただけでテンション下がるでショ。
なんかサ、ソレが悪いワケではないんだけどサ、『女の一生』とか三浦綾子の作品とか読むのツライじゃないですか。
題名聞いただけで、9割ガタ想像つくワ、みたいな。
ワタシは根性がないんで、そういうタイヘンな思いを背負わなきゃなんなそうな作品、あんまし読みたくないんですヨネ。
この出だし読んだだけでムリ、ゼッタイ読めね~って思いました。
ここ10年間も、ちょっと読んでは挫折を繰り返してる、スウィフトの『桶物語』とおなし運命を辿るんだろなって思ってました。
だがしかし!時代を超えて読み継がれる作品の胆力は、そんなモンじゃあなかったんですヨ!!
このギャップに関しては、ココ5年で1番の経験でした。
★いやあホントに、ビックリするホド、オモシロい!!!
コレはホンキで超オススメ、ドコに出しても恥ずかしくないリッパな超名文学作品、略して超作でした。
こんの鮮やかすぎる筆力には、心底驚かされちまいました。
誰が聞いてもゲンナリ、どう考えても食指の伸びない題材を、よくもココまで仕上げたモンだとタメ息です。
書き出しもムカムカするし、読み進めるホドにイライラする内容ではあるんだけれど、頁をめくるテを止められない。
そのキモ、は幻想じゃないカナって思います。
イヤ物語は、幻想小説でもファンタジックでもないんですけどネ。
全体を支配する雰囲気が何とはなしに幻想的/象徴的なんですヨ。
甘くも楽しくもないけど、何か読んじゃう、突き動かされちゃう。
そういうイミではゴシック小説へ分類される場合があるってのも、わからないではない。
裏『アンクル・トム』要素が、あるのかも知れません。
つまりそういうワケ、アナタ様の思う通りでございますヨ。
1世紀以上前の作品で、しかも特別なジャンル小説ではない作品なんて、まったく読むキがしない。
そのキモチは怠惰の権化たるワタクシ、よっくよくわかります。
でもコレはゼヒ、死ぬまでに読んでいただきたい。
ソレくらいホントにオモシロいし、なさそに見えて、ちゃあんと計算され尽くした展開が用意されてるってのもスゴいんです。
この作品に通底していて評価が高かった要素ってのが、いわゆる“清教徒的雰囲気”なんですネ。
コレってのもたぶん、あと50年したらソレがナンだったか忘れられちゃう文化じゃあないかと思うんです。
コレを書いてる現時点でも、もうそろそろ死に絶えそうだしネ。
だから今読めるってコトじたいが、ちょっと幸運くらいに考えて、ゼヒ読んでいただきたいと思います。
文学がお好きな方も、え~アメリカ文学なんて読んでる時間なんてないヨ~とかナンとか、ウソおっしゃい!
ゼッタイ読んでみてくださいネ。
ワタシは読了後、解説を読んでいて二度ビックリ。
あらコレってマサチューセッツ、ボストンのおハナシなのネ。
ナンも考えないで読んでいたモンだから、意外なシンクロニシティに驚かされました。
アンテナを伸ばして摂取してると、僥倖もあるって好例、ぴったしのタイミングになりました。
まあかと言って、あの方たちがコレを読んでるとは、とても思えないのではあるんですけれどもネ。
読んでるとしたら、やっぱゲイリーちゃんが一番可能性が高いとも思うんですがネ。
イヤ深いイミはないですヨ、ホントですってば。